一体何屋さん…? 〜一柳 米来留〜
ひとつやなぎ…?何て読むのー!?
決して「夜露死苦」とか言ってる親が名付けたDQNネームではありません。(読み方はメレル)
本名はウィリアム・メレル・ヴォーリズ(William Merrell Vories)と言います。
後に華族・一柳子爵の令嬢と結婚したので、日本に帰化する際に彼のミドルネームのメレルに「アメリカ(米)より来りて留まる」という意味も含めて漢字をあてたものです。
ヴォーリズが何をしに日本に来たかというと、キリスト教の布教のため(1905年)。
最初は英語の教師として滋賀県に来ました。
しかし、キリスト教の布教をしたため、あえなく解雇に。
もともと建築家を目指していたヴォーリズは、
「英語教師がダメなら、建築家になればいいじゃない」と
京都で建築設計監督事務所(後のヴォーリズ建築事務所)を開業します。
それからメンソレータムの輸入・販売も手掛けました。
他にも、讃美歌の作詞作曲をしたり、ダグラス・マッカーサーと近衛文麿の仲介をしたり、日本初の結核患者のためのサナトリウム・ツッカーハウス(現ヴォーリズ記念病院)を作ったりもしました。
このツッカーハウスは、それまで「隔離」という考えしかなかった結核患者に対して、おだやかに死を迎えられるホスピスの役割をになってきました。
彼の手による様々な建造物が残っているので、「建築家」として名高い彼ですが、キリスト教の伝道者であり教育者という印象が強いです。
豊郷町立豊郷小学校など建物の随所に、彼の哲学が息づいています。
くわしくは→
絵本にまでなる建築家はそうそういないかと…。