奔放に生きたミューズ 〜レンピッカ〜


緑の服の女
アングルのような肉体を無機質な服に身を包んだアール・デコキュビズムを合わせた独特の画風。

作者はタマラ・ド・レンピッカ(ポーランド読みはタマラ・ド・ウェンピッカ)。
1898年、ロシア支配下ポーランドの裕福な家庭に生まれます。でも、1896年モスクワ生まれという説もあるので、その辺はちょっと不明です。
十代の頃は、上流階級の令嬢としてヨーロッパ各地を旅し、感性を磨きました。
そして15歳の時、オペラ座で運命的な出会いをします。
お相手はイケメン弁護士タデウシュ・ウェンピツキ


当然女性経験も豊富です。タマラはそんな彼をゲットするため叔父のコネを利用し、自分の若さと美貌と財力を武器にします。
そして1916年めでたくゴールイン!
恐るべき少女です。

しかし翌1917年、ロシア革命勃発!
夫タデウシュはチェキスト(反革命サボタージュ取締全ロシア非常委員会)に逮捕されますが、領事の力を借り何とか釈放してもらいます。
そしてパリへ移住。
パリでの新生活は悲惨でした。
二人は無職なので持っていた宝石を売りさばいて、生計を立てる日々。そこに来て長女キゼットの誕生。ぃゃ、本当は喜ばしいことなんでしょうけど、無職の夫婦にとってはちょっと厳しい。
そこでタマラは画家になる決意をします!
ぃゃ、画家て…。
しかし天性の才能があったのか、十代の頃に一流品に触れ感性を磨いていたからか、1923年には主要なサロンに作品を出品するまでになっていました。
1927年、『バルコニーのキゼット』という作品でフランスのボルドー国際美術賞の金賞を受賞。

バルコニーのキゼット

そこから彼女はピカソコクトー、ジッドなどと知り合い、持ち前の美貌とバイセクシャルというスキャンダラスな性癖のお陰で一躍時代の寵児へとなります。

恋人のシャンソン歌手シュジー・ソリドール

…まぁ、ご主人のタデウシュは当然ついていけなくなり、1928年に正式に離婚しますが。

その後、常に時代の風を読んできた彼女は、世界大恐慌第二次世界大戦の影響をほとんど受けることなく、1980年に永眠するまで、恋に芸術に本能のままに生き抜きました。
そして今も、世界中の女性の憧れとして、歌手のマドンナやランジェリーのブランド「LA PERLA(ラ・ペルラ)」にインスピレーションを与え続けています。

今、渋谷のBUNKAMURA美しき挑発「レンピッカ展」をやってます。
行けたら行きたいな〜。