十代の頃の愛読書 〜ヘンリー&ジューン ――私が愛した男と女―― 〜
正直映画の方はイマイチなんですが、原作の方は絶対オススメ!
…と思ったら、私が読んでいた角川文庫から出ていたのは絶版になってました。
ぃぇ、映画の方も1930年代のパリを舞台にすごくオシャレなんですが、原作の深みは表現できてない気が…。
内容は著者のアナイス・ニンの1931〜1932年の日記。
作家ヘンリー・ミラー(『北回帰線』などの著者)と運命的な出会いをし、奔放にお互いを求めながら、自らを解放していく。
そしてヘンリーの妻ジューンの妖しい魅力に獲りつかれ、彼女とも愛し合うようになる。
おおまかなあらすじはそんな感じで、あとは心理描写と登場人物たちの赤裸々な性生活。
というわけで、特に気に入ってる個所を紹介します。
彼女を信じたい。しかし、彼女が私を愛していようがいまいが、どちらでも、かまわない。そんなことは彼女の役割と無関係なものだ。私のほうには、彼女への愛があふれている。その愛のためにしんでしまいそうな気もしている。私たちの愛は死。空想の抱擁。
女性の同性愛の秘密はね、女たちの愛情が、お互いの逃げ込める、安全な場所、静かで穏やかな避難所ということなの。男と女だと、愛していながらいがみ合ったり、つっぱり合ったりするけれど女どうしたと、相手を批判もしないし、酷い仕打ちもしない。軽蔑もしないわ。ひたすら優しく労り合い、分かり合うの。ロマンチックなのよ。でも、そんな愛が行きつく先は、死しかないかもしれないけれど。
ジューンへの愛には狂気がひそんでいる。ヘンリーからは生命を、ジューンからは死を貰う。
ヒューゴー(アナイスの夫)が象徴するものは真実。愛と誠を象徴する『悪霊』のシャトーヴだ。じゃあ、私は誰? あの金曜日、三人の男の腕に身をあずけた私は何の象徴なのだろうか。
愛には、「何故」も「だから」もないわ。説明も、解決もありはしないんです。
人間は互いに争い、憎しみあう宿命を背負っているのだから、憎しみも善なのだとも。私はずっと、愛は、誰にでもあるものと信じてきた。愛の中には憎しみも宿る。
どのように愛されているか、ということが、それほど重要なのだろうか。完璧に、深く、深く愛されていることが絶対に必要なのだろうか。自分自身よりも、他人のことを、先に考えてしまう私だから、私は人を愛せる人間だと言うフレッドは正しいのか。一晩に三回も電車に乗り遅れた私を、その都度、三度も駅に迎えに来てくれたヒューゴーこそが、愛を知っているのではないだろうか。漠然と詩的で繊細な物の見方をするフレッドが、愛の達人なのか。それとも、私が、誰よりも、愛することを知っているのだろうか。