庶民から大佐へ 〜ジェームズ・クック〜

貧しい農村に生まれ、13歳から就職、16歳で徒弟奉公として雑貨店に行き、1年半後…
「ダメだわ、この子。商才ないわ」と解雇されました。

彼の名はジェームズ・クック(1728-1779)。

その後、石炭運搬船団の見習い船員として就職し、航海術とか天文学を身につけました。
それから貿易船で商船船員として出世していくのですが、27歳の時に海軍に志願します。また下っ端からのやり直しです。しかし彼の身につけた経験と知識で瞬く間に出世していきます。

7年戦争でキャリアを積み、38歳で王立協会から天体観測のため、南太平洋に派遣されます。
しかし、与えられた船はエンデバー号だけ。比較的小さく、しかも1隻のみ(当時は5隻ほどで航海するのが普通でした)。
しかも「後で開けてね」との密命付き
嫌がらせとしか思えないほどのオプションです。

2年後彼は出発し、タヒチのあたりで無事、天体観測を終えます。
問題はここから。
いよいよ密命の書かれた手紙を開くときです。
何と「南方大陸を探索せよ」とのお達し。
えーと、南方大陸とは、「地球が球体なら、地球の裏側にはユーラシア大陸より大きな大陸があるんじゃないか、そうじゃないとバランス悪い」という、当時の学者たちの想像の産物です。しかも、幅はおよそ8万キロくらいで、豊かな実りと美しい大自然、金銀財宝…みたいな妄想付きです。

そして南へ南へと向かったクックの得た結論は
「そんなもん、ありません」でした。

それから今度は西へと移動すると大陸みたいなのがあります。これが今で言うニュージーランド
当時はすでに発見されていましたが、一つの大きな島と考えられていました。
でもクックは海峡を発見しました。このころからニュージーランドは二つの大きな島として認識されました。

で、次に行くところはオーストラリア。しかし東側はすでにヨーロッパでは知られていたので、西側の探索をしました。
心行くまでオーストラリアを探検したクックはオーストラリアを発ちます。

その直後でした。
グレート・バリア・リーフでサンゴが船にブッ刺さります。

クックは何とか、潮が満ちて船体が浮くのを待ちますが、船体が浮けば今度は一気に海水が流れ込みます。
それを回避するために、船底に藁と布で作ったもので応急処置をしました。
船が浮けば水圧でそれが船体に空いた穴をふさぐ仕組みですが、うまく説明できません。すみません。

それから、クックはこの航海で壊血病による死者を出しませんでした。
壊血病とは、当時の船乗りの4割が命を落としていた病気で、皮膚にできた吹き出物や歯茎からの出血しながら、高熱と体中の痛みに苦しみながら死ぬというかなりいやな病気です。
原因はビタミン不足なんですが、当時はそんなこと知る由もなく、この病気にかかると死を待つのみでした。麦芽のスープを飲むとか、血を抜くとか、動物の血の風呂に入るとか、よくわからない治療法が横行していました。

クックも原因はよくわからないながら、とりあえず食べ物には気を付けていました。ご飯を残す船員は鞭打ちの刑でした。

おかげで壊血病での死者はゼロでした。赤痢マラリアで31人ほど亡くなりましたが。


3回目の航海の途中で、ハワイの先住民と戦い落命するまで、彼は世界地図を塗り変えていきました。
あと彼と同行した人の中には植物学者のサー・ジョセフ・バンクス(準男爵)やバウンティ号のウィリアム・ブライもいます。




好奇心からいろんなことを調べたりしてますけど、時々ふとむなしくなるときがあるんですよ。
そんなときに、キャプテン・クックのことを思い出すと、「とりあえず頭に入れておけばどこかに繋がるんじゃないかな」と思えて、またやる気が出るので…。

とりあえず、今日は長くてごめん。