子供の頃の勘違い

あっちのブログで讃美歌が幼いころから割と身近だったということを書いたのですが、讃美歌の言葉は文語調で正直大人でも難しいんじゃないかと思います。当然、幼稚園児だった私が正しく理解できるはずもなく…。

以前、nisuseteuryalus2さんのブログで「みんなのうた」という記事に、子供たちのかわいい勘違いの記事があったのですが、私もいろいろと勘違いをしてました。

『大きなのっぽの古時計』は、私も「ごじま〜えのと〜けいさ〜♪」と歌ってましたが、私の場合は「五時前の…」ではなく「ご自前の…」というつもりで歌ってました。これについては「ご自慢の、だよ」という指摘をたびたび受けていましたが、「天国にのぼるおじいさんが自慢なんかするはずない!(自慢=悪いこと)」とかたくなに訂正を拒んでました。


主の祈り
ベタですが、これは小さなころからクリスチャンだったら一度はあるんじゃないでしょうか。
そう。「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」の部分。
「我らの日曜の家庭を今日も与えたまえ」と思ってましたからね。当然、平日が「日曜の家庭」になるはずもなく…(-m-;)



もろびとこぞりて
これは「モロビとコゾリテ」だと思ってました(汗
えーと、どっちも外人の名前です。特にコゾリテなんて、ゴリアテとかイゾルデに響きが似てるし。
そして「主は来ませり」の部分は「シュワキマセリー シュワキマセリー シュゥウワァ〜 シュゥウワァ〜…」…木枯らしの音だと思ってました。
その後、友達が「シュワ・キマセリっていうのはおじいさんの名前じゃない?」と言い出して、キリストの誕生を祝いに言った三人の博士の名前だと勝手に思ってアナザー・ストーリーを作ってました。
「久しく待ちにし」は「ずっと待っていた」という意味と教会の先生に聞いたので、モロビとコゾリテという博士が「シュワ・キマセリ博士なかなかこないねぇ〜」と待ちぼうけをくらって、一生懸命シュワ・キマセリを呼んでいる歌だと思っていました。



ハレルヤ
これはもう「晴れるや」だと信じてました。
雨だと「雨ふるや」で、台風だと「台風や」…ってもうただの関西弁やん!



讃美歌285番
「主よ みてもて ひかせたまえ」の部分を「主よ 見てもろて ひかせたまえ」と歌ってました。意味的には、「主よ、(神様に)見てもろて (線を)ひかせたまえ」みたいな意味で、その後「ただわが主の みちをあゆまん」と続くので「イエスさまが神様監修の元、線を引いて地図を書いて、それにそって進む」みたいな解釈をしてました。



以上、子供の頃の勘違いでした。